天安門事件 20 年を経た今の中国の民主化運動
3 日前の 6 月 4 日は、あの天安門事件(1989 年)からちょうど 20 年でした。それに合わせて、日本では、各メディアが事件を振り返ったり、あるいは、当時のデモ参加者などへのインタビューを行っていました。
天安門事件とは何だったのか?「実現しなかった民主化運動」と言い切ってしまうのは、簡単なことである。だが、そうとは言い切れないだろう。NHK の「クローズアップ現代」で、李大同氏だっただろうか、毎年、6 月 4 日に当局がピリピリしていることを挙げて、天安門事件は意義があったとしていた。
李氏は、天安門事件当時に、メディアと政府高官との間の対話活動を主導するも失敗し、事件後左遷された。1995 年から「氷点週刊」の編集長をするも、2006 年の発行停止を受けて、またしても左遷されている(以上、来日時の記事 中の略歴から)。
時の鄧小平などからなる政府は、民主化運動を武力で鎮圧する一方、経済的には、西側諸国の資本主義(市場経済)を取り入れる「改革・開放」を行った。これは、本来、矛盾していることだ。すなわち、資本主義と民主主義はセットであることが多いからだ。実際、歴史的に見ても、近代資本主義の発達は、近代以降の民主主義の発達と、ほぼ重なる。
鄧小平が行おうとしたのは、東南アジアのいわゆる「開発独裁」の中国版であった。「開発独裁」では経済行動が重視される反面、人権などが無視された。しかし、それにも関わらず、国民は、目の前にある経済成長に満足し、自らの権利を主張しなかった。鄧小平が目指した「改革・開放」というのは、「開発独裁」と等しいと考えても良いだろう。
だが、「改革・開放」による市場経済の導入は、思いもよらぬ結果を生むこととなった。それが急激な経済格差の拡大である。「富めるものだけが富む権利を有する」という資本主義と、各人の経済的平等を説く共産主義は、元来、相容れないものである。だが、中国は、政治体制を共産党の一党独裁にしたまま、経済的には資本主義を導入しようとした。結果として、理論的には、共産主義国に存在しないはずの「格差」が生まれ、ついには、全人代で異例の政府追及が行われることとなったのだった。
今、中国では、再び、民主化運動が生じつつある。といっても、それはインターネットを中心に動き、さらに非常に組織化された運動である。それでも、「08 憲章」に代表されるような運動が芽生えつつある。一方の中国政府は、「三権分立」などの西側の方法を取ることはないと強く宣言している。そうはいっても、焦りを隠せていない。
天安門事件は「実験」だったと言えるかもしれない。あの時、運動側も政府も取るべき行動を間違えてしまった。20 年を経た今、中国では、とりわけ運動側に進歩が見られる。過度に感情的にならずに、自らの権利を主張するという姿勢を取っているからである。地道な運動がインターネットを通じて伝播すれば、自ずと民主化への道も開けるだろう。何年かかるか、誰にも予測がつかないが…
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