過去への無関心
鳩山氏の総務相辞任を受けて、佐藤国家公安委員長が総務相に就任したが、このニュースを聞いたとき、私は驚いた。そして、私の「発見」に気づいている人の少なさに、再び、驚いた。この、さりげない人事には重要な意味合いが含まれているかもしれないのに…。
「外務省」が存在することからも分かるとおり、戦前の日本には「内務省」というものがあった。地方行政・警察・土木・衛生・社会などを、たった 1 つの省で担っていた。
その中でも、特に重要だったのが、地方行政と警察だった。今と違って、各府県(東京都は 1943 年から)や庁(北海道庁)のトップ(知事や長官)は、中央からの任命制だった。「地方自治は民主主義の学校」と言われるほど、理想的な民主主義が樹立されている現今の地方自治は、戦後からであり、戦前は、中央集権の象徴だった。そして、それを司っていたのが、内務省であり、その流れは、戦後、自治省→総務省へと続いている。
警察を司っていたのも内務省だった。今でも、諸外国で、内務省というと、警察機関を指すことが多い。特に、日本の場合、あの悪名高き、特別高等警察(特高)が内務省の所管であったことからも察せられるとおり、その権勢は絶大なるものがあった。地方行政と警察を握ることで、内務省は日本の隅々まで、中央政府の意向通りにしようとしたのである。これが戦争中にどれほど役に立ったかは想像に難くない。
私が、佐藤氏の総務相兼任と聞いて驚いたのは、まさにこのためであった。以前に比べて、権力はないとはいえ、地方行政を司る総務相と、警察機構を司る国家公安委員長の兼任は、さながら、かつての内務省の復活と受け止められても仕方ないだろう。果たして、どのような意図でこのような人事が行われたのかは不明だが、最近の検察の杜撰さといい、解散・総選挙が近いという状況も考えると、時代の流れに逆行した動きが起きてしまうのではないかと危惧してしまう。杞憂であってほしいが…。
だが、もっと恐ろしいのは、これに気づいている人間の少なさではないか? 上に書いた「特高」なども知っている人がどれくらいいることか… 小林多喜二を拷問したと言ったら、少しは理解されるかもしれないが… 憲法 36 条に「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」とある理由を考えたことのある人間が、どれほどいるだろうか? こうした過去への「無関心」がどのような結果を生み出しうるかは、歴史の明らかにしているところであろう。単純に「平和ぼけ」では済まされないことである。
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