林克晶の世界
偶然、youtube を漁っていたら見つけた指揮者。結構の年配指揮者なのに、少しも衰えるところを知らず、弦楽器を中心に古楽の流れを完全に無視した「怪演」を行う… 「世界的によく知られた」云々といった文言があるのに、Wikipedia の英語版・日本語版・中国語版いずれにもその名はない… ヨーロッパ中心のクラシック音楽世界から離れているという意味で、「幻の指揮者」と言えるかもしれない。
プロフィール
中華圏を中心に活動しているらしく中国語での情報はたくさんあった。そこで、いくつかの中国語ページを Google Translation で英語に訳させ、それらを適度にマージンしてプロフィールにまとめてみた。複数のページで共通するものを選んだため、ほぼ正確であると思う。
林克晶は 1928 年インドネシア・ボルネオ島生まれの指揮者・ヴァイオリン奏者。華人 4 世。8 歳から独学でヴァイオリンを習い始め、13 歳の時に上海出身のロシア人ヴァイオリン奏者に正式に師事。15 歳の時には、ジャカルタの放送オーケストラに末席で参加し始めたが、短期間の内に首席奏者にまで昇進した。
1946 年にオランダ東インド政府の奨学金を得て、アムステルダム音楽院に留学(この時、1 つ下の学年にハイティンクがいたようだ)。1950 年に優秀な成績で卒業するも、今度はフランス政府からの奨学金を得てパリに留学し、ルーマニア人ヴァイオリン奏者のジョルジェ・エネスコとルネ・ベネデッティに師事。1954 年にはローマ国際ヴァイオリンコンクールで上位 3 人に入賞し、以降、ヨーロッパ中でヴァイオリン奏者として、たくさんのコンサートを開いた。
1956 年に奨学金の義務を果たすため、ジャカルタのインドネシア放送オーケストラに戻るも、折からのインドネシア国内でのアンチ華人運動に、中国の周恩来首相からの招待もあって、林は中国に渡った。
中国では、北京放送交響楽団の首席指揮者や中央音楽学院のヴァイオリン科教授に就任した。また、中国国内の主要オーケストラを指揮し、ヴァイオリン奏者としても各地でソロコンサートを開催した。
文化大革命が 1968 年にピークを迎えると、林は周首相から許可を得てマカオに逃れ、その後、1969 年に香港へ移住し、香港フィルハーモニーオーケストラの音楽監督や首席指揮者を 6 年間に渡って務めた。1974 年にオーケストラがプロオーケストラとなった際には初代音楽監督に就任した。
1976 年にオーストラリアへ移住し、ヴァイオリン・指揮の両面で活動した。また、オーストラリア国内の音楽大学で教鞭も執った。1981 年からは日本の群馬交響楽団で主席客演指揮者を務めるなど、日本、ドイツ、中国、韓国、シンガポールなど多くの国で活動した。
1991 年に国立芸術学院(現在の「国立台北芸術大学」)のヴァイオリン科教授に就任し、合わせて学院オーケストラの指揮や主要楽団の客演指揮者を務めた。1995 年には、台北市交響楽団の音楽監督に就任した。2002 年には、以下で紹介する長栄交響楽団の音楽監督兼首席指揮者に就任した(~ 2004 年)。ただ、1991 年以降の経歴は余り見受けられず、フリーランスの指揮者であったことが多かったのかもしれない。2000 年代には台湾での活動歴がありながら上海のメディアにも登場していることから、中国本土と台湾の間の政治的問題の影響をほとんど受けずに活動しているようだ。個人的には NHK 交響楽団でも振ってくれたらと思うのだが(笑)
日本との関わり
現在、「林克晶」と聞いて「知っている」と答える人は、大きく分けて 2 通りいると思われる。
1 つは群馬交響楽団時代を知っているという人たちである。群馬交響楽団の公式ページのどこにも「林克晶」なる人間がかつて指揮を振ったとは記載されていないが、Google 検索をかけてみると、群馬交響楽団と共にチャイコフスキーの第 5 交響曲を録音したという情報も見受けられる。しかし、その当時の演奏がどうであったかを知ることは無理そうである。
もう 1 つは、下で紹介する長栄交響楽団との活躍をどこかで知り、私のようにびっくりしたという人たちである。こうした人たちは、ほとんどの場合、かつての群馬交響楽団時代を全然知らない。私も、下で紹介する「ルスランとリュドミラ」序曲を youtube で探している際に出会ってびっくりしたのが、林克晶を知ったきっかけであった。
このように、日本との関わりは全くないわけではないが、かといって、太くはない。林は基本的に中華圏(大陸・台湾)を中心に活動しているらしく、群馬交響楽団以降、来日して日本のオーケストラを振るといったことは、Google 検索した限りでは皆無に等しいようである。
演奏
さて、林克晶の演奏を聞いてみよう。林の演奏は近年の流行とまったく違う。特に、それは弦楽器に顕著でポルタメントの多用は素人でもわかるであろう。楽譜の音にまで手を加えている風には余り見えないが、音の強弱などには大きく手を加えているところもあるようだ。全体的に後期ロマン派の流れを汲む演奏といって良い。
林は、古典派よりロマン派以降を得意とするのか、現在、youtube に挙がっている動画もベートーヴェンやブラームスといった例外こそあれど、チャイコフスキーやシベリウス、リムスキー=コルサコフが中心である(もっとも、挙がっている動画数が少ないので安易に判断はできない)。
まずは、ブラームスの交響曲第 4 番。ブラームス最後の交響曲であり、林が特に力を入れていると思われる弦楽器の美しさが光る作品である。管楽器の貧弱ぶりには泣かされるが、それも曲が進むにつれて落ち着いていき(耳が慣れた?)、全体としては十分に感動的な演奏である。特に第二楽章が素晴らしい。
なお、動画アップ者は楽章ごとではなく、10 分おきに機械的に動画を区切ってアップしたらしく、楽章ごとに聞きたい際には甚だ不便である。参考までに開始時間を記しておくと、第二楽章は Part2 の 2 分 50 秒過ぎから、第三楽章は Part3 の 4 分 35 秒過ぎから、第四楽章は Part4 の 50 秒過ぎからである。
それにしても、この楽団は女性が非常に多い(金管までいてびっくり…)。聞くところによると、「ラ・フォル・ジュレヌ」(熱狂の日)にも出演したことがあるらしいが、楽団紹介 によると、2002 年に台湾の民間企業によって設立された新しいオーケストラらしい。また、公式サイトの CD・DVD 販売 ページを見ると、今現在、youtube に挙がっている、林とこの楽団による演奏は楽団草創期のものであることがわかる(公式サイトを見る限り、音楽監督退任後、林は客演さえしていないかもしれない)。林の後を継いで 2004 年からは女性指揮者の Ya-Hui Wang が、また 2007 年からは彼女に代わって Gernot Schmalfuss がそれぞれ音楽監督に就任した(Wang は Schmalfuss の音楽監督就任後、首席指揮者になったようだ)。
次はチャイコフスキーの交響曲第 4 番。ブラームスのようにスコアを手元に広げることもなく、感情的な指揮が音楽に良い意味で投影されている。演奏はかなり主観的なもので流れを止めたり強調を変えてみたりと自由自在。第二楽章は林の繊細な感性が光っている。第三楽章は一転して早めのピチカートから始まり、この部分のアンサンブルには正直、驚かされた(見くびっていたというのもあるのだが…)。第四楽章は冒頭からティンパニの音が強すぎて音割れしているのが痛いところ。たっぷりと弦楽器に歌わせる(やり過ぎと思うほどに…)かと思いきや、最後は弦楽器の音量をわざと低くしてから上げるといった手法まで取る… 何とも前世紀的な演奏だ。
第二楽章は Part2 の 9 分 10 秒過ぎから、第三楽章は Part 3 の 9 分 20 秒過ぎから、第四楽章は Part4 の 4 分 50 秒過ぎからそれぞれ始まる。
他にも、youtube にはベートーヴェンの第 5 交響曲から第一楽章も上がっているが残念ながらオーソドックスな演奏に終始してしまっている(オーソドックスであるが故に金管の乱れが耳に付く悪い例になってしまっている)。そもそも、ここ数ヶ月の間に上げられているもの以外は音質的にも微妙で紹介するのがためらわれる。その中にあって、シベリウスの「フィンランディア」は、後に上げられた交響曲第 2 番(こちらは音質もいい)と共に、雄大なスケールの演奏を聴けるオススメ。
すこぶる音質が良くて、かつ、林らしい演奏を聴けるものとして、グリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲も挙げておくべきだろう。ステージに花束が写っていたところからアンコールとして演奏されたのかもしれない。とにかくテンションが高い好演。
語録
プロフィール同様、中国語サイトを Google Translation で英語に機械翻訳し、それを基に日本語訳を作った。プロフィールと異なり、複数サイトでの確認ができなかったため、あくまでも参考訳として捉えていただきたい。特に、彼の音楽観を表現した文章は英語訳でも理解不能な場合が多く紹介できないのが残念である。
教育
近年、多くの中国人演奏家が外国のコンクールにおいて、たくさんの賞を獲得しており、私たちが音楽教育で実を結びつつあることは確かである。しかし、多くの点でまだ十分とはいえない。技術的にさほど難しくない作品もあるが、真のベートーヴェンを得るためにはとても長い道のりが必要であることを理解しなければならない。中国には国際的標準の域に達している交響楽団がまだなく、私たちの共同努力に頼らなければならない。
多くの生徒のレベルは非常に高いが、教育は十分ではない。なぜなら彼らは進んで毎日音楽をしようとはしないのにカラオケとなると進んでするからだ。
音楽家は私を見て恐れて、こう言うものです:「林克晶がやってきた、まったくひどい目にあった!」(笑い) 中国のオーケストラの目的は聴衆から拍手を受けることではなく、ショーのためでもなく、音楽から出発することです。ですから、「厳格さ」は必要なのです。
林の教育に対する視線は鋭い。我々も知っているとおり、中国人(ないし中国系)は多くの音楽コンクールで優秀な成績を収めている。しかし、単なる技術披露に終わっている場合も少なくない。林が「真のベートーヴェンを得るためにはとても長い道のりが必要である」と言っているのは非常に意味深いことだ。また、彼は再三にわたって、「中国にはまだ国際的標準を満たすオーケストラがない」と言っている。いかに個人として優れた成績を残した人間を集めても、それがすぐ優秀なオーケストラになるとは限らない。中国にはまだまだ時間が必要なのだ。
芸術としての音楽
あなたもご存じのとおり、私は裕福ではないが真の芸術家です。金儲けのためにここに来ているのではありません。
いいえ、ヘルベルト・フォン・カラヤンは好きではありません。特に晩年彼が目を閉じて指揮した時代は。私たちは知るべきなのです。目は魂の窓だということを。目を閉じたら、どうやって演奏者と心を通わせるのですか?晩年のカラヤンは、音楽に対する情熱を失い、完全に金儲けのためにレコーディングや演奏を行っていました。もちろん、初期のカラヤンはまだ良かったのです、特にロンドンにいる間のレコーディングは。そういうことから、私は皆さんが「東洋のカラヤン」などと私を呼ぶのを好きではないのです。私は「中国の林克晶」です!
二番目の発言は、台湾においてよく林克晶を評する際に言われる(という)「東洋のカラヤン」についてどう思うかという問いに対するもの。ちなみに、この後、「では好きな指揮者は誰ですか?」と聞かれて林は「フルトヴェングラー」と答えている。彼の留学の時期は、ちょうどフルトヴェングラー最晩年と重なり、例えばパリなどでフルトヴェングラーの演奏を直に耳にしたことがあるのかもしれない。
中国
私は「中国の林克晶」です!
1959年に、周恩来首相が私に来てくれるよう頼んできました。彼が言うには、中国には君が必要だ、とね。その時、私は全然中国語を話せなかったが、すぐに帰国した。私は自分の国が好きだ。たくさんの中国の歴史に関する本を読んだ、つい最近も上海の歴史についての本を読んだところだ。
1 番目のは、上のカラヤンに対する評価を聞かれたコメントの最後から引っ張ってきた。林克晶はインドネシアの華人の家系に生まれたため、厳密な意味での中国生まれの中国人ではないのだが、彼は中国(それが大陸だろうと台湾だろうと関係ないようだ)に対して非常に強い思い入れがあるようだ。2 番目の文章で「帰国した」(英語訳:「I was immediately returned.」)というのは、彼がインドネシア生まれであることを考えると変に聞こえるだろうが、彼にとっての祖国はインドネシアではなく中国であるようだ。
後記
計算では今年 81 歳になるであろう林克晶だが、その演奏は時としてカンタービレ(歌うよう)であり、時として激しくもある。円熟と若々しさを両方、内包したような演奏である。彼が一体、どこにいるのか(恐らく上海・香港・台北のいずれかと推測するが)は不明だが、このいわば「幻の指揮者」を是非、日本でも(一部の人にとっては再びであろうが)聞いてみたいものだ。
「世界的によく知られた」と言うときの「世界」とは恐らく中華圏のことではないかと思いたくなるほど、彼の活動範囲は中国とその周辺にほぼ限定されてしまっており、情報も中国語しかないのは非常に辛かった。見つけた限りの情報を(雑然としているという誹りは承知の上で)並べたのは、そうしなければ、日本語やよりメジャーな英語にさえ情報がない、この指揮者の姿を知ることはできないだろうと考えたからだった。チェコの指揮者・エリシュカが近年、日本で脚光を浴びているように、林克晶もまた日本でその指揮姿が見られることを切望している。
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